今までの日記はこちらです。

 

■□■ 2003年2月 ■□■

2003年2月27日(木)

 

 県立刈谷北高等学校の同窓会入会式に出席して祝辞を述べてきました。

 卒業式の前日に行われるこの同窓会入会式は、当然私が在籍していた今から25年前にも行われたのですが、当時は「受験前の忙しい日にこんなことやらなくてもいいのに・・・」と思いながら参加していました。

 今日は挨拶の中で「刈谷北を卒業した先輩は約24000名います。社会の一線で活躍しているそれらの方と、同じ学校の同窓生であるという縁を結ぶことができました。ぜひその縁を皆さんの今後の人生の中で活かしていってください。」という話をしました。

 生徒の反応は、騒いでいるでもなし、うなずいてくれるでもなし、どんな気持で私の話を聞いてくれているのか不安になります。自分の25年前を振り返ればしかたのないことかなぁ・・・とも思いますが。

今日の出席者の中で、私の話の意味をどれだけの生徒が理解してくれたか判りませんが、逆にいうと393名の高校生を納得させるような話ができたら素晴らしいことだ思いました。

2003年2月24日(月)

 

 3月議会質問質疑の通告が今日の午前中で締め切られ、議長室で質問の順番を決める抽選が行われました。

 今回の質問項目は、私以外にも数人の議員が取り上げるため、同じ質問内容の繰り返しになってしまう恐れがあります。従って出来る限り早い順番で質問がしたい・・・と願っていたのですが、その願いが通じなんと1番くじ、トップで質問をすることとなりました(^o^))))

 3月4日(火)の朝10時から、今回は次の3つのテーマで行います。

 1. 乳幼児医療費無料化の拡大について
 2. 少人数(30人以下)学級について
 3. 国の合同庁舎建設と周辺対策について

 特に 1. 2. については、これまでHPやコロンブスレポート、市政報告会や街頭演説で皆様方に問題提起をしていた項目です。その際皆様からいただいた意見を参考にして、自分なりに出した結論を述べたいと思っています。

2003年2月23日(日)

 

 午前中は親戚の家で13回忌の法要が営まれ、そちらに参列しました。

 会食の場は遠慮させていただき 県会議員選挙の打ち合わせのため、急いで刈谷に戻ってきました。

 その後、恒例となった街頭演説を2箇所で行いました。今日からは、3月議会質問質疑で取り上げる予定の3つのテーマについて、お話をしています。本会議の場で質問する内容の組み立てを、事前にこの街頭演説の場で確認することができ、私にとって非常に役に立ちます。

2003年2月20日(木)

 

 3月議会の2日目、議案説明が午前中で終わったため、昼からは質問質疑の原稿書きを行いました。

 「原稿の棒読みではなく、自分の言葉でしゃべりたい」と思っていますので、この原稿を書くという作業は非常に難しくなります。あまり沢山の文章を書いておくと、壇上でついつい読んでしまうことになりますし、少なすぎると不安です。

 必ず言わなければいけないフレーズを箇条書きにしておいて、後は接続詞に気をつけて、前後の文章の繋がりがおかしくならないようにしています。

 7時からは、青年会議所の会員拡大委員会にOBとして呼んでいただきました。私と神野君とで、4月から行われる入会オリエンテーションの講師をすることになり、その打ち合わせの為に委員会に出席したものです。卒業して3年も経つと、JCでの出来事がはるか昔のことのように感じるのですが、現役のメンバーと語っているうちにかなり感覚が戻ってきました。

 オリエンテーションでどれだけ期待されているような話ができるか判りませんが、卒業してからでもこうして呼んでもらえることは嬉しいことであり、精一杯努めたいと思います。

2003年2月19日(水)

 

 刈谷市議会の3月議会が今日から始まりました。

 今日と明日の2日間議案説明が行われ、3月4日から本格的な論戦が行われます。

 議員になって4回目の新年度予算を審議するわけですが、毎年多くの新規事業が予算化され提案されていることに、ある種の驚きを感じます。もちろん、市民の声を的確に捉え、市民ニーズを具体的な施策として実現してゆくことは市民にとって喜ばいことであり、私も望むところではあります。

 しかし、「毎年毎年これだけの新たなサービスを実施していったら、役所の役割が複雑・膨大になりすぎてしまうのではないか」と逆に心配にもなってしまいます。新規の事業が増えた分だけ、ニーズが減ってきたサービスは廃止したり、これまで役所が行ってきたサービスでも、NPOや民間事業者でも担ってゆけるものは積極的に移管をして、時代の要請に相応しい行政ならではのサービスが常に行えるような、ゆとりの部分を残しておく必要があるのではと感じました。

2003年2月18日(火)

 

 最近議員同士で話をしていると、7月の選挙のことがよく話題になります。

 「だれそれが新しく出るらしい」「あの人の後任はだれそれだ」という話が中心です。議員に対する評価も『相対評価』でなく『絶対評価』として、人との争いでなく、自分自身がどれ位この役割をまっとうでき、市民の皆様の期待に応えることができたか・・・そのことが大切なのだと自分自身に言い聞かせるのですが、なかなか人間というのは弱いもので、ついつい話を興味深く聞き入ってしまいます。


 「風ふけど動ぜぬ天辺の月」  こんな心境でありたいものです。

2003年2月17日(月)

 

  3月議会質問質疑に向けての準備を始めています。

 今回は、ここ数ヶ月の間皆様に問いかけ(問題提起)をしていたテーマについて、自分なりに結論がでましたので、そのことを当局に対する質問として取り上げる予定です。

 安城市長の神谷がくさんは確か今日が初登庁のはずです。同世代の若者として、ぜひ頑張って欲しいと願っています。

 刈谷市役所内でも、「市長公用車の廃止」や「市長給料30%のカット」「役職定年制」など、がくさんの公約に対して色々な話が出ます。必ずしも肯定的な意見ばかりではありませんが、注目されていることは事実です。

 『とにかくやってみなければ、なにも見えてこない!』そんな意気込みで果敢にチャレンジして欲しいと思います。

2003年2月15日(土)

 

  JCの愛知ブロックアカデミー委員会で講演をしました。

 講演といっても僅か25分間ですので、挨拶にしては長いし、テーマを持った講演としては短い、非常にやりづらい講演でした。名古屋国際会議場で、約200名のJCに入会して3年未満のメンバーを対象に、「愛知ブロックに出向する心構え」のようなことをお話しました。

 講演内容を振り返ってみると、200名の聴衆に対して訴えたというより、自分自身を戒め奮い立たせたように思います。

 終了後は慌てて刈谷に帰り、恒例の街頭演説を行いました。

 エルシティ前では若い男性の方より缶コーヒーの差し入れを、そして幼稚園児位の女の子からは、ミルキーを一個だけいただきました。

 ミルキーをくれた女の子は、母親に促されて渡してくれたのではなくて、私の前を通り過ぎた後、母親の止めるのを振り切ってわざわざ私のところに引き返して来て、「はいどうぞ」と言って自分からミルキーを渡してくれました。 
ものすごく美味しい一粒でした(^◇^)/

2003年2月14日(金)

 

  刈谷市議会2月臨時議会が行われました。

 先に国会で成立した国の補正予算の中に、刈谷市の関係分として岩ヶ池公園整備事業のための用地買収費7000万円が含まれていて、年度内に執行することが条件であったため、臨時議会を開催することになったものです。

 終了後、障害福祉課の方と、今後の障害者福祉の考え方や4月から始まる支援費制度での予算の内容について話をしました。

 国の財政と今後更に進む高齢社会を考えた時に、「国に全てを頼る福祉」から「地域や家庭が支え合う福祉」「障害者が自立して行くこと」という必要性はよく判るのですが、捉え方によっては「弱者切り捨て」のように感じてしまい、頭で理解できても魂の部分で(?)なにか納得できない部分を感じながら話をしていました。

 知立の市議会議員林いくおさんのHPに、この点について今日の私に対してアドバイスして下さっているようなフレーズがありましたので転載させていただきました。

以下、林さんのHPより・・・・・・ 

以前読んだ「福祉国家の闘い・スウエーデンからの教訓」(武田龍夫著)【中公新書】に、「理想的な福祉国家」と思われているスウエーデンを始めとする北欧諸国の影の部分が記載されていました。

①公的部門の異常な膨張
 (税金、社会保険料などの国民負担率はスウエーデンでは77.4%。日本は、38%。)
②老人と若者たちとの別居
 (家族連帯の精神の欠如)

公的福祉への比重が高まれば高まるほど、相対的に、家族福祉への比重は軽くなり、家族間の絆も希薄になってきます。北欧では、老人になり手がかかるようになると、子どもや孫から離れ、全てが完備された老人ホームに入所していきます。それがあたりまえのようになっており、疎外感や孤独感を感じる老人が増え、自殺者もひじょうに多いということです。

福祉には、自助(家族で福祉)、互助(地域で福祉)、公助(行政機関で福祉)などの手段がありますが、何でもかんでも公助に頼ってしまいますと、北欧諸国の影の部分が現れてきます。この3つのバランスを保った福祉の形が良いのではないかと考えております。
しかし、福祉のあり方はひじょうに複雑なところもあり、常に真剣に考えていなければならない行政課題であります。

2003年2月11日(火)

 

 ガールスカウト愛知115団の創立10周年祝賀会に参加しました。

 ガールスカウトやボーイスカウトの活動についてこれまであまり認識がなかったのですが、今日の式典において10年間の活動の様子をパワーポイントを使って見せていただき、本当に色々な活動をされていることに感心をしました。

 少子化で兄弟が少なくなったり、学校完全5日制により、地域の中でこういった子供同士が交流することの大切さが増しています。そういった場づくりを10年間地道にされてきた関係者の方々に改めて敬意を表したいと思います。

 そして今日は私の誕生日、43歳です。時の流れがものすごく速く感じます。『1日1日を無駄にすることなく、納得できる充実した日々を送ってゆこう』誕生日の今日改めて決意しました。

2003年2月10日(月)

 

 議員・地区長・公民館長が集まって、情報交換や意見交換、親睦を深めるために、 刈谷市内にはそれぞれの地区ごとに北部会・中部会・南部会というものがあります。

 私は中部会に属しているのですが、今日その中部会の会合が行われました。ところが私の手帳にはそのスケジュールの記載がなく、会合の行われることをまったく知りませんでした。

 夕方6時半頃、自宅に野村議員から電話があり、「野村さんから電話とはめずらしいなぁ。何の要件だろう? もしかしたら今日市役所で色々な職員と話していた、乳幼児医療の事や少人数学級について何か意見があるのかなぁ?」という思いで電話に出ると、今から中部会が始まることを知らされました。

 慌てて妻に車で送ってもらい会場に着いたのですが、約15分ほどの遅刻となってしまいました。

 昨年の秋、前回の会合が終わって間もなくして、その時の決算報告と共に今日の案内を文書で渡したとのことでした。

 たぶんまだまだ先の事だったので、ついつい手帳に書くことを忘れてしまったか、丁度平成15年の新しい手帳に変わる時期だったので、古い手帳に書いてそのままにしていたのか・・・原因は不明ですが、こういったことは最も信頼を失うことになってしまうので、以後気をつけて行かねばならないと大いに反省をしました。

 約2時間の会合では、色々な方と様々な話をすることが出来てとても有意義でした。

2003年2月9日(日)

 

 アピタ前での街頭演説で「安城養護学校について」お話していたら、安城養護学校 に通学されている中学2年生の息子さんと、そのお母さんが話し掛けてきてくださいました。

 マンモス化解消のため現在新しい校舎を増築しているとのこと、しかし、難しい地形のところに建設しているため、通常の工事に比べ膨大な費用が掛かっているとのことでした。「そこまでのお金を掛けるのであれば、現在の敷地内への増築ではなくて、もっと別の場所に新設したほうが、私たちにとってもありがたいし、予算上も助かるのではないか」というお話でした。

 また、スクールバスが少ないために、小中学校の間は乗せてもらえるけれど、高校生になったら乗ることができずに親が送り迎えをしなければならないとのことでした。

 そして、これらの要望は毎年保護者が署名活動をして、県に要望を出しているけれどもちっとも実現しないと残念がってみえました。

 県の財政が苦しいのはよく判っていますが、こうした社会的に弱い方々を助けることが政治の役割だと思うのですが・・・・

 今日の街頭演説は、陽気が良かったせいもありスーパーへのお客さんも多く、何人かの方がわざわざ話し掛けてくださいました。ありがとうございました。

2003年2月8日(土)

 

  雨が降り出しそうな雲行きでしたが、予定どうりエルシィ前・アピタ前で街頭演説を行うことができました。

 こういった天気の時は、実際に雨が降っていなくても、「やっている途中に雨が降り出すとまずいから」とか「こんな天気だとお客さんも少ないだろうから」という、止める理由を自分の中で都合よく見つけ出して、ついつい怠けてしまうのですが、今日はその誘惑に負けることなくきっちり2時間行うことができました。

 その後、後援会スタッフの方と、先日行ったお伊勢さん初詣の反省会を行いました。「昼の食事が悪かった!」皆さんの共通した反省点でした。次回に活かしてゆきましょう。

2003年2月6日(木)

 

 昨日の初詣に参加された方より頂いていた、市政に対する要望事項について、今日早速市役所の担当者と話をしました。

 2人の方より、「生産緑地の件」と「神田テニスコートの件」についてバスの中でお話をされたのですが、「生産緑地」についてはこれまで私自身も不勉強で、その制度・成り立ちすら知りませんでした。

 市当局から頂いた答は、要望された方にとっては必ずしも良い結論ではありませんでした。しかし私自身はこの機会に、普段は余り関わることのない『農業問題』について少しは勉強することができました。

 「3年半議員として活動させて頂いていても、市政について知っていることは、まだまだほんの僅かな部分なのだろうなぁ!」と自らの不勉強と未熟さを改めて感じました。

2003年2月5日(水)

 

 毎年恒例となりました神谷まさひろ後援会の初詣を開催しました。

 先週発表されていた天気予報で、5日(水)は「曇り時々雨」の予報で心配をしていたのですが、参加者の心掛けがいいのか穏やかな好天に恵まれました。

 8時に刈谷を出発した後、伊勢湾岸道路(トリトン)を経由して、桑名から東名阪に入り、関サービスエリアで最初の休憩となりました。昨年までですと、名古屋高速を使って名古屋西インターから東名阪に入るルートでしたが、今回のルートを使ったことで20分ほど時間が短縮できたのではないかと思います。

 その後、内宮を参拝。内宮の参道は距離が長いため、足のご不自由な方の中には五十鈴川を渡った所でお参りをされて見える方もいらっしゃいました。それでもこうして今回の企画に参加してくださっていることに対し心より感謝いたします。

 内宮で1時間半ほど過ごした後、昼食会場の鳥羽小涌園に到着。料理を前にしての挨拶なのでスタッフの神野さんから「挨拶は短めに」と言われているのですが、この時とばかりついつい長くなってしまいます。

 やや短めの時間をホテルで過ごした後、外宮を参拝。先日火事があったとのこと、まったく知らなかったのは私を含め僅かの方だけであり、まったくの不勉強を恥ずかしく思いました。

 最後に、今回始めて企画の中に取り入れた『いつきのみや歴史体験館』を見学しま した。こちらの体験館の詳細につきましてはHPをご覧下さい。

 バスの中では、カラオケ・ビンゴ大会などで大いに盛り上がり(私もカラオケはソロで『雪国』を、妻とデュエットで往年の名曲『いつでも夢を』を歌いました)、皆さん和気あいあいの楽しいバス旅行を行うことができました。それぞれのバスの幹事としてお世話いただきました方々、そして参加していただいた全ての方に感謝申し上げます。

2003年2月4日(火)

 

お隣り安城市の新しい市長「神谷がく」さんからメールをいただきました。

 一昨日の当選を知って早速お祝いのメールを送っておいたのですが、直ぐに返事をいただきました。何事にも直ぐに対応する行動力も氏の魅力の1つです。今後も『迅速な対応の行政』を目指していってほしいと願っています。

 「思いもよらぬ得票をいただき、安城市長に当選をさせていただけました。喜びと同時に、こんなにも多くの人々のご期待があるのかと、身が引き締まる思いがします。多くの市民の皆さんの声を大切にし、健康に気をつけて頑張ってゆきます。メールをありがとうございました。   神谷 が く」


 《一昨日の安城市長選挙の結果》

当選
37,854票
神 谷    学
44歳 無新
31,808票
杉 浦 正 行
66歳 無現

2003年2月3日(月)

 

  昨日行われた安城市長選挙で、44歳の新人「神谷がく」さんが現職の杉浦氏を破ってみごと初当選をしました。

 神谷がくさんとは、『まちづくりプロジェクト碧海』で同じ理事として関わってきました。発言を聞いていていつも「バランス感覚のいい、よく勉強されている方だなぁ」と感心しながら、同じ世代の市議会議員として自らの未熟さをいつも恥ずかしく思っていました。

 「多選批判」「無投票阻止」「変化を求める風」といったものも勿論あったとは思いますが、神谷がくさんの場合はそれだけでなく、人物的にも市長にふさわしい方だと私は思っています。

 神谷がくさんの活躍をお手本としながら、私も市民の皆様に信頼され、頼りにされる議員となるよう努力して行きたいと思います。

 神谷がくさんの当選を聞いて改めてそのことを決意しました!!

2003年2月2日(日)

 

 朝5時からの(社)実践倫理宏正会『朝起き会』に出席、奉仕・献身という題で演談をさせていただきました。

 7時からは日曜日恒例の、桜区ウォーキング同好会の皆さんと約 4Kmのウォーキング、曇り空だったせいか寒さが一段と身にしみる1時間でした。

 終了後はそのまま市民館に残って、資源回収のお手伝いをしました。先の12月議会一般質問で取り上げたテーマの1つなのですが、恥ずかしながら、これまで一度も実際に資源回収に関わったことがありませんでした。

 ボランティアでお手伝いされている方々、新聞や雑誌、空き缶などの資源ごみを自宅から持ってきてくださる方々、全ての方が輝いて見えました。

 ごみを持ち込む方とお手伝いの方との微笑ましいやり取りを見ていると、ただ単に資源ごみを回収して、ごみの減量化に努めるといった目的だけでなく、地域住民のコミュニケーションの場としても非常に意義ある活動であると感じました。

 終了後はこれまた恒例の街頭演説を行いました。アピタ前は時間が遅くなると寒さが増すために、今回もアピタで先に行い、その後エルシティに移動しました。

 街頭演説をしていますと、それぞれのスーパーへのお客様の入り具合といったことが良く判ります。なぜだか判りませんが今日のエルシティはかなり賑わっていました。給料も出たばかり、かといって先月(1月)色々な行事でかなりお金を使ってしまったために、遠出をすることもなく近場でショッピングということなのでしょうか? 景気回復の兆しならば嬉しいのですが (^v^)


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