東陽町ホンネの日記    

今までの日記はこちらです。

 

■□■ 2003年9月 ■□■

2003年9月29日(月)

 

 衆議院選挙の日程が「10月28日公示、11月9日投票」でほぼ決まり、我々市議会議員周辺もそのお手伝いのため、いよいよあわただしくなってきました。

 今日も刈谷市の市議団での打ち合わせがあり、事務所開き、事務所当番、電話作戦、個人演説会、街頭演説、応援弁士の来訪予定などの確認がされました。

 その後自民クラブの総会を場所を変えて行いました。今日から衆議院では代表質問が行われていますが、国会を終えた大村代議士もあわただしく総会の会場に駆けつけてくださいました。公示までちょうど一ヶ月、これからは強い精神力と体力の勝負です。(自分の選挙を振り返ってみると、選挙というのは何キロも痩せるほど厳しいもので、強靱な体力が必要だとつくづく思います)


2003年9月26日(金)

 

 コロンブスレポートVol.21が刷り上がり、今日から早速2つ折りの作業をしていただいています。

 昨日閉会した9月議会の内容を中心に掲載してあるのですが、今回のように閉会と同時に印刷が上がると、今後の配布予定が非常に楽になります。今回は、議会開催中から原稿をこつこつ書いていたので、スピーディーに仕上げることができました。毎回この調子だと良いのですが(^O^)・・・・

 昨日会派で話し合った『平成16年度の予算編成に関する要望』を、副会長の蜂須賀議員と共に整理しました。それぞれの議員が強い思いで要望した事柄ばかりですので、清書する段階で落としがあったり、間違いがあっては大変です。皆さんから出された書類と、昨日の議事録を照らし合わせながら、慎重に整理をし、『要望書』として仕上げてゆきます。

 皆様から出された書類を改めて見ていると、それぞれの議員の専門分野というか得手・不得手があるように感じられます。もちろん皆さん地元の事は得意分野ですが、それ以外に私だったら、子育て支援・障害者福祉といった分野への要望を多く出してありますし、人によっては農業関係、道路・河川などを中心に要望している方もみえます。

 これらの要望がバランス良く実現してはじめて、調和のとれたまちづくりが出来るのだと思います。


2003年9月25日(木)

 

 本会議最終日。全ての議案の採決は午前中で終了しました。

 午後からは会派の控え室において、『平成16年度予算要望に関する要望事項』の話し合いを行いました。

 地元からお願いされていた項目や、障害児をお持ちのご父兄からお願いされていた項目、全て会派としての予算要望に盛り込むことができ、私としては満足できる結果でした。

 また、4時間近く行った話し合いも、大変活発な議論となり、今の自民クラブは「お互いに言うべき主張はしっかり行い、議論を戦わせて、組織として決定したらその方針に従う」という非常にいいムードで運営がされています。近藤会長の人柄のお陰だと思います。


2003年9月24日(水)

 

 決算審査特別委員会と予算審査特別委員会が開催されました。

 両方の委員会共に、それぞれの委員会の企画総務分科会での話し合いの内容を、委員長として報告する場がありました。

 始めに行われた決算審査特別委員会では、初めてのことなので結構緊張しながら、心臓ばくばく状態、まともな呼吸をすることができず、息を吸ってばかりいたような気がします。傍目には気が付かなかったと思いますが、本人は必死でした。

 予算審査特別委員会ではだいぶ慣れてきたせいか、落ち着いて報告することができました。

 何事も経験が大切ですね。いよいよ9月議会も明日が最終日。明日は議案の採決等が行われます。


2003年9月22日(月)

 

 小泉第2次内閣の顔ぶれが発表されました。平均年齢59.3歳で、若い内閣であることが話題になっています。

 特に当選5回以上で閣僚候補というのが常識的であった自民党において、当選3回の茂木氏、小池百合子氏が起用されています。

 茂木氏には、以前『平成維新の会』でお会いしたことがありますが、非常に頭がきれるという印象を持ちました。

 また党の人事はもっと劇的で、幹事長には当選3回の安部晋三氏が大抜擢されています。北朝鮮の拉致問題に対する安部氏の対応は非常に好感が持て、清新なイメージもあるので、今後の仕事ぶりにも大いに期待したいところです。

 安部氏はまだ49歳。同じ40台としては嬉しさと同時に、自分との器の違いに、「自分ももっとがんばらなければ!」とファイトが沸きます。


2003年9月20日(土)

 

 今日は小学校の運動会でした。台風15号が近づいており、天候が心配でした。新聞などの天気予報によると、なんとか曇り空で保ちそうだったのですが、11時頃から雨が降り出し、結局終わりまで止むことはなく、雨の中での運動会になってしまいました。

 いつもなら野外で食べる昼食も、体育館や教室にシートを広げて行いました。体育館の中は大勢の家族で一杯となり、「運動会の昼食だからまだいいけれど、災害の時の避難所はこんな感じになるのだろうね」と孫の応援に来た母の言葉が印象的でした。

 昼からは更に本格的な雨降りになり、続行するのか途中で中止にするのか、こんな時校長先生の判断は難しいだろうなと推察します。他校では途中で止めた所もあるようです。

 結局雨は止むことがなく、終日降り続いていたために、予定していた街頭演説は中止となってしまいました。


2003年9月18日(木)

 

 今日は刈谷市内の中学校の体育大会。来賓として、また一父兄として出席しました。

 会場に行くとどうしても父親としての部分が強くなってしまい、ついつい娘の参加している競技に注目してしまいます。

 来賓席はトラック競技の前なのですが、フィールド競技を蜂須賀議員と共に見学に行きました。娘は走り幅跳びに出場しており、いい結果が出せたようで、親の私の方が嬉しくなりました。(親バカですみません)

 昼からは市民の要望事項を届けに、市役所内の各課廻りです。こうして市役所の担当を訪問して、直接お願いする内容は比較的簡単に実現する内容が多いのですが、かなりの予算が必要であったり、しくみやルールを改めなければならないような大きな事は、会派として予算要望したり、一般質問や委員会の質問で取り上げたりします。

 自分なりに内容の難しさによって、市当局へのアプローチの仕方を変えているのですが、「簡単に実現するだろう」と思っていたことが、大きな問題になったりすることも時々あります。今取り組んでいる課題の一つである『学童保育』の問題もそうした事例の一つです。もっと簡単に解決するだろうと思っていたのですが、思った以上に長引いています。但し、小手先の改善で解決するのでなく、本質的な議論の中、根本的な解決をした方が後のためには良いことだと思い、じっくり時間をかけて検討していただいています。


2003年9月15日(月)

 

 桜区の敬老会に出席をしました。毎年出席をさせていただいているのですが、毎年変わらず元気なお顔が見られるのは嬉しいことです。しかし「あれ、今年はあの方の顔が見られなかったなぁ」という方が時々いらっしゃいます。聞けば、「一人暮らしだったけれど、この度息子さんのところに引っ越された」とか「体調を崩されて入院してみえる」ということです。

 『その方に心を馳せる』こと位しか私には出来ませんが、いついつまでもの健康をお祈りしています。

  コロンブスレポートVol.21の原稿を書き始めています。

 読んでいただく方にとってできる限り判りやすく、興味がありそうな内容を掲載したいと心掛けているのですが、原稿を書いていて感じたことは、『以前にくらべ内容や使っている言葉が難しく、専門的になりすぎている』ということです。

 裏返せば、4年間の議員としての経験の中で、専門的な言葉や知識が身に付いてきた証であるとも言えるのですが、そのことで、生活者としての視点で物事を見ることがおざなりになってはいないかと反省するところです。

 判りやすい・身近な情報誌を目指して、議会終了日の25日までには原稿を書き上げたいと思います。


2003年9月13日(土)

 

 (社)実践倫理宏正会主催の講演会(会の皆さん方は秋の大会と呼んでいます)が笠寺のレインボーホールで行われ、光栄なことにロイヤルボックスにて来賓として出席させていただきました。

 いつ出席しても驚かされるのですが、約7000ほどの席が一つの空席もなく埋め尽くされ、私語は一切無く、会長先生の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと皆さん真剣に聞いておられます。ロイヤルボックスには約100名ほどの県議・市議・町村議が出席して、荘厳な雰囲気の講演会であります。これだけの組織をまとめて行く指導力は素晴らしいものです。

 夕方からは恒例の街頭演説。先週の土・日曜日は風邪でダウンしていたため、久しぶりの街頭演説となりました。9月議会で議論された請願・陳情の件や一般質問の内容を中心に話しをしています。


2003年9月10日(水)

 

 建設水道委員会を傍聴しました。

 西境町に工業用潤滑油製造会社が進出する計画に対して、地元の住民の方より『進出に対して再検討を求める陳情』が提出されていました。

 今日はその提出者と思われる方々の傍聴により、委員会室は超満員の状態でした。

 進出計画に対して法律上はなんの問題もないのだろうと思われますが、やはり住民の立場に立てば様々な不安があるのだろうと思います。

 特にこの会社は、過去に悪臭騒ぎや火災などを起こしており、その点からも不安が増しているのだと思います。

 今の時代、「法律に則っているからOK」ではなく企業の社会的責任が問われています。企業が地域の中でうまく共生して行くためにも、十分な説明責任が必用であると考えます。


2003年9月8日(月)

 

 私が委員長を務めます企画総務委員会と、決算審査特別委員会の分科会、予算審査特別委員会の分科会が行われました。

 心配していた風邪熱も収まり、万全とは言えないけれどまずまずの体調で委員会に臨むことができました。

 委員会のスタート直後はやはり少し緊張していたのか、声が上ずっているのが自分でも自覚できました。何事もやはり経験が大切であります。

 自民党の総裁選挙が告示されました。予想通りの4氏が立候補しての戦いとなりました。私どもの大村代議士は、直前まで若手候補の擁立に向けて努力していたようですが、どうやら推薦人を13名ほどしか集めることができずに断念をしました。今回も、橋本派の中にあって小泉氏支持のようです。

 私も4氏の政策の対立点に注目して見ていますが、特に経済政策について言えば、小泉氏以外の3氏のように景気が悪いからといって、ここでまた積極財政に転ずれば、結局はこれまで何度となく行ってきたけれど、期待したような成果が得られず失敗してきたこれまでの手法と同じになってしまうと思います。

 ここはやはり、もうしばらく小泉構造改革の進展とその成果に期待をして、その結果『構造改革がなされた結果、景気回復も実現した』というシナリオに託すべきだと思います。

 私も党員として、総裁選挙の1票を投ずる権利がありますが、もちろん今回も小泉純一郎と書くつもりです。


2003年9月5日(金)~7日(日)

 

 金曜日の昼過ぎから「なんとなく体がだるいなぁ」と思っていたら、夕方には38度の熱でダウンしてしまいました。

 その後頭もガンガンしてくるし、腹も痛くなり、丁度今週の初めに息子が風邪で学校を休んでいたのですが、まったく同じ症状が出てきました。

 ほとんど眠られない状態で一夜を過ごし、それでも朝の市場だけは急に休むわけには行かなかったので、急遽父親に運転を助けてもらいながら、魚の買い出しに普通の通り行って来ました。

 市場から帰った後、直ちに医者に行き、やはり風邪であるとの診断を受け、注射と薬を貰い帰宅しました。

 その後は家で薬をきちんと飲みながら寝ていたのですが、なかなか体温が下がりません。それでも日曜日の昼頃37度5分となり、体も少し楽になってきました。
結局平熱に戻ったのは日曜日の夕方でした。

 金曜日の午後から日曜日までずっと寝ていたので、体がなんとなくふわふわする感じです。今週は週末に特に大きな予定が入っていなかったことは本当によかったと思っています。また、月曜日(8日)には私が委員長を務める企画総務委員会が行われるので、それになんとか間に合うように熱が下がってくれたこともありがたかったと思います。

 健康のありがたさを改めて感じた3日間でした。皆様もくれぐれも健康にはご留意下さい・・・・。


2003年9月4日(木)

 

 本会議3日目。一般質問終了後、議案の説明があり、その後決算審査特別委員会、予算審査特別委員会と続いて行われました。

 終了後、ハイウェイオアシスの完成模型を使っての説明会が行われました。「刈谷ハイウェイオアシス」社長の加藤英二氏が、百分の一サイズの模型を使ってレイアウトや出店業者について説明をしてくださいました。

 シンボルとなる直径60メートルの大観覧車を始め、複合商業施設、地元物産館などのほか、温泉もこれから掘って行くとのことでした。

 その後は会派控え室に戻って、9月議会に出されている請願・陳情に対する勉強会・検討会を行いました。毎年提出されている請願・陳情もありますが、改めてしっかりと議論をして、会派としての統一見解を出しました。


2003年9月3日(水)

 

 昨日一般質問が終わり、今日の新聞に私の質問内容が掲載されていました。

■刈谷駅南口再開発の中のフィットネスクラブ計画
 商業施設棟のうち約2500㎡で水泳、エアロビクスなどのスポーツ施設が検討されている。実現すれば高齢者の健康増進の場として助成策も考えたい。(中日新聞)

 高齢者への介護予防施策の一環として、助成策を私が提案しただけに非常に嬉しいです。


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