東陽町ホンネの日記    

今までの日記はこちらです。

 

■□■ 2005年8月 ■□■

2005年8月30日(火)

 

 「公職選挙法の関係で、しばらくこの日記には選挙のことは書かない」と昨日書いたが、「特定の候補者と判る内容でなければ良いだろう」と、考えを改め、今日の出来事を一つだけ書くことにする。

 衆議院選挙が公示され、午後1時半より事務所では出陣式が行われた。

 トラックの荷台を利用した舞台の上で、候補者が挨拶をする姿を見て、「人間、一生懸命必死になって物事に打ち込んでいる姿は美しく、人の心を打つものだなぁ~」と感じた。

 目が輝いて、いい顔していた(*^_^*)。


2005年8月29日(月)

 

 9月議会一般質問の通告が正午で締め切られた。今回の質問者は全部で10名。ふうむ。思っていたより少ないな。

 午後2時からは、大村さんの選対会議が行われた。いよいよ明日、衆議院議員選挙の公示。12日間の選挙戦に突入する。公職選挙法に配慮して、しばらくこの日記では、大村さんや選挙に関することは書かないつもりだ。もちろんそれ以外のことは、これまで通り皆さんにお伝えしていく。もし、なにも書いていない日があったら「あぁ~、選挙の手伝いで忙しいんだ」と思って欲しい。

 終了後、商工会議所で藻谷浩介氏の講演を聞いた。1月にも行われた講演だが、その時は自民クラブの視察が入っていて聞くことが出来なかったため、今回はどうしても聞きたかったのだ。

 3時間にも及ぶ講演なのでその内容を一言で書くことは難しいが、「刈谷のまちづくりは無機質な感じだ!」というのが、氏の言われたことを自分なりに解釈した言葉だ。

 刈谷駅南口の再開発については、「商業施設(デパート)ではダメ」と言っていたが、氏も言われたように、大学や病院を誘致するということになるとどうしても賃料が安くなってしまう、「地権者にとっては土地という資産の運用である」という点を考えると、ベストとは言えないがベターな選択だと私は思う。


2005年8月27日(土)

 

 午前9時より、『刈谷市総合防災訓練』が総合運動公園にて行われた。

防災服を脱いでTシャツ姿に

 今回は地震ではなく、風水害を想定した訓練で、市民・各種機関など約400名の参加があった。太陽がカンカン照りの非常に暑い日で、防災服を着ずに写真(またしても森田議員に撮ってもらった。いつもありがとう!)のようなTシャツ姿で過ごしていた。(こうして写真をみると、レスキュー隊員みたいで結構似合っている? (笑))

 途中で抜けて、青山斎園で行われた葬儀に参列。何人かの議員は、車の中で喪服に着替えていたようだが、私の場合は家が近いので、途中で家に立ち寄って着替えを済ませてきた。

 その後は、ずっと大村さんの選挙関係の仕事。今日はできる限り事務所にいる時間を少なくして、30日の出陣式と9月4日の個人演説会の動員で地域を廻った。(票は現場にあるのだ)


2005年8月26日(金)

 

 友人の花井君が魅力的な人を紹介してくれた。

 NPO法人全国地域生活支援ネットワーク事務局長 戸枝氏である。半田市において通所授産施設などを運営している社会福祉法人の理事長でもある彼については、ある人が「彼はこの福祉の世界ではカリスマだから」と言っていたほど魅力的な人のようだ。

 その彼がブログ(8月16日分)の中で、

僕は、普通に。自分の想いを受け止めてくれる政治家を探し出し、選挙からきちんと応援し、深くわかり合って、自分の理念を社会の中で実現したい。

そういう普通を、福祉の世界に生きていても、きちんとやりたい。

で。ここで提案です。

愛知県の僕のこの想いに賛同という方。

大村ひであきさんを応援しませんか?

大村さんに僕は、何の縁もゆかりもございやせん。会ったこともない。
ただ。いろいろな情報を考え合わせると、愛知県で、僕の想いを共感し、実際に動いてくれそうな衆議院議員は、大村さんだなという感じがあります。

なんて書いてくれている。

 大村さんの応援では、タイアップして何かやれそうな気がする。また、選挙後も個人的に色々と勉強できそうで非常に楽しみだ§^。^§


2005年8月25日(木)

 

 午前10時より議会運営委員会。9月議会の日程や決算審査について話し合いを行った。実質的に、委員長として始めて仕切る議会運営委員会であるが、「もう少しうまく裁きたかった・・・」と言うのが率直な反省である。事務局の指摘通り、もう少し「休憩」を上手に利用して、委員会の中での議論と「休憩中」の議論とを、きちんとを区別すれば良かったと思う。

 夕方に予定していた『大村ひであき地区集会』は台風11号接近のため中止に。

 暴風警報が出たので中止と決断したのだが、開催時間の頃は雨も小雨程度で、風も余り吹いていないというコンディションで、「もしかしたらやれたのではないか」と思ってしまうような、非常に恨めしい天気となった。

 中止を知らずに市民館に来てくださった方(開催時間に、市民館の玄関で待っていたら約20名の方が来てくださった)には、本当に申し訳ありません。


2005年8月24日(水)

 

 9月議会のための、いわゆる『6者会議』が行われた。

 『6者会議』とは、正副議長・正副議会運営委員会委員長・担当の正副委員長の6名で、当局から提出される「報告事項」を、委員会に諮るかどうかを決める話し合いの場である。委員会だけでなく議員全員に諮った方が良いと思うものについては、全員協議会などで全議員に知らせることとなる。

 終了後、事務所にて大村さんの選挙で行う、いわゆる『電話作戦』のための名簿の整理を行った。

 コロンブスレポートを郵送している関係で、桜地区以外の名簿は常に最新のデーターに整理されているが、桜地区の場合、手配りをしているので、名簿が6年前のまままったく更新されていないのだ。そこで急きょ、更新のためパソコンとにらめっこするはめになってしまった(常日頃からこまめにやっておけば良かった。後悔!)。残念ながら今日一日で、全て終えることができなかった。
うわぁ~!時間がない・・・(;>ω<)/


2005年8月23日(火)

 

 お隣の高浜市では今、24年ぶりに行われる市長選挙の真っ最中である。

高浜市長選記事 中日新聞

 今日の中日新聞に、『候補者はこんな人』というタイトルで、候補者のインタビューが掲載されていた。

 現職の森市長。昨年1月、家業の白しょうゆ醸造業を取り仕切っていた父親がなくなり、代表社員の役割が自分の肩に。「家業もまともにできない者が市長などもってのほか」との故人の教えに背かず、朝5時に起き、経理やこうじ室の温度管理を終えてから、市長としての務めをこなす毎日だそうだ。(確かに、以前わが社の社員が「お得意様先で、商品説明している森市長を見た」と言っていた覚えがある)

 毎日3時半に起きて家業である魚屋の仕事をしてから、議員活動をする、という二足のわらじを履いている自分としては、とても勇気づけられる記事だ。「家業もまともにできない者が市会議員などもってのほか」だ。

 今日は、いつものように午前3時半から名古屋中央卸売市場に出かけた後、午前9時半から大村さんの選挙関係の打ち合わせ、昼食を取る間もなく昼からは、明後日行われる議会運営委員会の打ち合わせを議長・副議長・事務局を交えて行い、その後は再び、選挙の関係で走り廻った。

 ふぅ~。ここ暫くは、『三足のわらじ(?)』だから流石に忙しい(*^_^*)


2005年8月22日(月)

 

 市当局より自民クラブに対して『9月議会の議案説明』が午前10時より行われた。

 9月議会は9月6日(火)より始まる。一般質問はちょうど衆議院議員選挙期間中に行われることとなる。豊田市議会では、選挙のために9月議会の日程を変更したようだが、刈谷市議会はたぶん予定通りの日程で行われることになると思う(正式には25日の議会運営委員会で決まるのだが)。

 「選挙で忙しいから一般質問をする人は少ないだろう・・・」と思っていたら、我が自民クラブだけでも4名の議員がやる意志を示していた。最終的にはもう少し減るのだろうが、みなさん立派なものだと思う。選挙でどんなに忙しくても、市議会議員としての本分は全うする。当たり前の事だが大切な事だ。

 「私自身は」と言うと、議会運営委員会の委員長は、なぜか一般質問をしないことになっている。もちろん規則で決まっているいるわけではないが、慣例としてそうなっているようだ。したがって今回私の一般質問はナシ。その代わり委員会(福祉経済)の中ではガンガンやってやろう!!

 夜7時半からは総合運動公園で、昨日順延となった花火大会を楽しんだ。爽やかな風が吹いており、暑くなく絶好のコンディションで楽しむことができた。その一方で、花火と共に夏が去ってゆくような寂しさを感じた。


2005年8月21日(日)

 

 今日は2年に1度開催される刈谷北高校の同窓会総会。同窓会の副会長として司会を務めることになっていたのだが、予想通り(?)選挙の予定が入ってしまい、3日前に司会のキャンセルをお願いすることとなってしまった。

 「選挙の予定」というのは、大村ひであき後援会の刈谷事務所開所式が同じ時刻に行われたのだ。私からも何人かの方に出席を呼びかけた以上、自分が欠席していたのでは申し訳がない。

 直前に土砂降りの雨が降ったので、人の出足を心配(いやそれどころか、開催もできるかどうか心配になるほどのスコールだった)していたのだが、セレモニーの最中はピタリと雨が止んで、無事予定通り行うことができた。

 終了後、市議団だけでの選対会議。

 その後、蜂須賀議員と一緒に、名古屋駅前での自民党街頭演説の応援に出かけた。

 街宣車の上から、県連の青年部・青年局で顔なじみの市議・県議がマイクを握った後(酒井県議も5分間ほど演説していた)、今回の衆議院選挙に立候補する候補者の紹介。

 そして、30分ほど経過した頃、いよいよ小泉総理の登場となった。(司会者)「桶狭間の合戦の時も、今日と同じように雨と強風が吹いていたと聞いています」自分を織田信長にたとえている小泉さんにはピッタリの紹介だ。「わーわーキャーキャー」ものすごい拍手と歓声である。4年前小泉総理が誕生した時とまったく同じような人気に思うのだが、はたして選挙結果はどう出るのか・・・・?

 その強風と雨のため、わんさか祭りの中で行われる予定だった、盆踊りと花火大会は中止(花火は22日に順延)に。どちらも楽しみにしていただけにとても残念だ。。。


2005年8月20日(土)

 

 大村ひであき後援会の本部事務所(安城)の開所式に出席した。

 応援弁士として山本一太参議院議員が「群馬県からわざわざ新幹線を乗り継いで」(本人の弁)来てくれた。相変わらず、人を引きつける迫力とユーモアのある演説だ。彼のプレゼン能力を大いに見習いたいものである。

 午後からは、8月25日(木)開催予定の桜地区集会の案内を自転車で持って廻った。約200枚。普段コロンブスレポートを配っているので、この程度の枚数ならば簡単に配ることができる。

 「いったい何名の方が来てくださるのか・・・」そのことの方が心配だ! 桜市民館にも弁士として山本一太さんが来てくれると{市民館超満員}てなことになるんだがなぁ・・・


2005年8月19日(金)

 

 朝一番で安部議員から電話があった。「わんさか祭り翌日の総合運動公園の掃除、朝7時からやろうと思うんだ。会派説明は10時からだからでられないか?」という内容であった。市場(名古屋)から急いで帰ってくれば、少し遅刻するくらいでなんとか間に合いそうだ。『跨線橋チョボラ会』活動第2弾!早速スケジュールに入れておいた。よし!

 エルシティの前を通ったら、既に2階建ての選挙事務所がプレハブで完成していた(21日には事務所開きだから当たり前か)。夕方には選対会議も予定されている。今日も1日、衆議院選の関係で忙しくなりそうだ。


2005年8月18日(木)

 

 年2回行われる中部会(市内中心部9地区の市議会議員・地区長・公民館長の集まり)の懇談会に出席した。

 昨年度は中部会の副会長として会の司会進行役を務めていたが、今年は交代したため気楽な気持ちでの参加となった。

 今年度、地区長さんも公民館長さんも新たに交代された方が多く、何人かの方とは「初めまして・・・」の自己紹介から会話が始まった。市職員のOBや学校の先生OBが多いのも特徴かな。それぞれの地域の抱える問題点を率直に話し合うことができ、非常に有意義な会合であった。

 その席上、森田議員から「わんさか祭りの花火大会翌日、総合運動公園を例の『跨線橋チョボラ会』で掃除しようと思うんだ。神谷さんは9月議会の会派への議案説明が入っているから出られないだろうけれど、お知らせだけしておくね」と言われた。確かに出られなくて残念だけれど、『跨線橋チョボラ会』の活動がこういった形でアクティブに行われることは嬉しい限りだ(*^_^*)。


2005年8月17日(水)

 

大村代議士街頭演説

 現在午前9時30分。大急ぎで名古屋の市場から帰ってきて、7時から9時まで、刈谷駅前で大村代議士による街頭演説のお手伝い(ビラ配り)。

 トヨタ系のお盆休みも昨日までで終わり、今日から仕事始め。長い休み明けのせいか、改札口を抜けてくる人々がなんとなく元気がない。

 私も最初は小さな声でボソボソっと「大村です。よろしく・・・」と言っていたが、こんな時にはいつも元気な渡辺議員のハツラツとした声に刺激され、中盤以降は元気良くビラを配っていた。

 終了後事務所に帰って、アクエリアスを飲みながらほっと一息。キーボードを叩いている。

 今日も選挙の関係で色々な所を訪問する。お願いするこちら側に元気がなければ、熱意が相手に伝わらない。さぁー!今日も元気に。暑さを吹き飛ばしてガンバロー!


2005年8月16日(火)

 

 大村代議士の選挙の関係で、今日も1日中私の後援会支援者宅を訪問した。

 8月21日(土)の刈谷事務所開きと、25日(木)桜市民館で行う地区集会への案内をすることがとりあえずの目的だ。とにかく時間がない(^◇^;)。

 自民党がライブドアの堀江貴文社長に出馬を打診しているようだ。「堀江氏は自民党の古い人にはアウトサイダーだが、若い人は(堀江氏に)夢・希望を持つ人がいる」と自民党の幹部が発言したようだ。

 小泉さんらしい人選であると思う。個人的には大賛成だ。「堀江氏」=「旧来の構造をぶち破る改革派」として私も期待している。


2005年8月15日(月)

 

 大村ひであき氏の衆議院議員選挙お手伝いで、やらなければならない事が沢山あるのだが、お盆休みの関係でなかなか思うように進まない。それでも今朝は、グランドゴルフを神明公園で楽しんでいる方々に、8月21日(日)の事務所開きと25日(木)の桜地区集会(桜市民館)の案内をすることができた。

 午後からは、街宣車が刈谷市内を廻り、エルシティやアピタ、グリンピア等の前で街頭演説を行った。我々市会議員も、前後2台の車に分乗して街頭演説のお手伝い。「小泉改革を今後も進めて行くのか、それともここで頓挫させてしまうのか・・・」力のこもった熱弁だ!

 我々議員団は、街宣車が刈谷市内を廻る数時間だけ同行すればよいが、大村氏は今日一日ずっとこうした活動をしているのである。同級生ながら、大村ひであきという男のバイタリティには本当に頭が下がる。


2005年8月9日(火)

 

 遂に「郵政民営化法案否決→衆議院解散→総選挙」となった。

 安城にある大村ひであき事務所に向かう途中の車の中で、衆議院解散のラジオ放送を聞いていた。午後7時4分である。公示は8月30日、投票は9月11日に決定した。

 小泉総理の今回のやり方に対して、賛否両論色々な意見があるが、『郵政民営化法案』はあくまで1つのきっかけであって、今後も小泉流の改革を進めて行くのかどうか、古い自民党的政治手法と決別するのかどうか、を問う解散であると思う。そういった意味では、今回の解散は歓迎だ!

 暫く忙しくなることは覚悟の上だが、1つだけ残念な事がある。それは恒例となっている私自身の街頭演説(市政報告)ができないことだ。ルールの上では構わないと思うが、みんなが大村代議士の選挙を一生懸命応援しているのに、自分だけ自分のための活動に時間を割くわけにはゆかない。そのような思いで、いつも人の選挙の時には私自身の街頭演説をお休みさせてもらっている。

 さぁっ~! 今年の夏はもっと暑くなるぞ!


2005年8月8日(月)

 

 今、午前7時30分。今日いよいよ郵政民営化法案が参議院で採決される。今朝、新聞は休刊だし、昨日は一日中外に出ていてまったくテレビを見ていないので、賛否に関して現在の状況はまったく掴めていない。

 しかし、山本一太参議院議員のHPによると否決の可能性が極めて高いらしい。だが、その後衆議院選挙となった場合、衆議院で反対した37名(あるいは欠席・棄権をした者も含め51名)を公認しなくても、小泉改革自民党は過半数取れる(もちろん公明党を含めてだが)という強気の読みをしているようだ。先週の土曜日、大村代議士も同じことを言っていた。そのようであるならばこの際、自民党の中がすっきりして、これからの改革のためにはむしろベターな選択かもしれない。

 いずれにしても今日はテレビに釘付けだ。そして、今回賛成票を投じ、小泉改革を応援している愛知13区の大村代議士のために、私自身も選挙をしっかりお手伝いする覚悟は既にできている。


2005年8月6日(土)

 

跨線橋チョボラ会メンバー
跨線橋チョボラ会腕章

 午前6時から8時まで、議員の有志5名(大長さん・安部さん・山田さん・森田さん・そして私)で、桜町跨線橋の草取りを行った。(といっても私は仕事の関係で7時から8時までの1時間だけだが)

 6月13日に行政が除草してから、僅か2ヶ月足らずで早くもこんなに草が生えてしまった。耐震補強工事をしていない部分は、道路に隙間があるのでどうしても雑草が生えてきてしまう。先日の臨時議会の時、数人の議員から「今回は役所に頼むのではなく、自分たちでやろう」という話になり、今年度から始まった『道路清掃ボランティア団体支援事業』に「跨線橋チョボラ会」として名乗りを上げ、その初めての活動として行ったのだ。

跨線橋 草取り前

跨線橋 草取り後

 土曜日の早朝ということで交通量は少な目なのだが、車道側の草を取っているときに、頭すれすれに車が通過してゆくのはさすがに気持ちの良いものではない。やはり非常に危ない作業だ。危険を感じながら、こんな短い周期で草取りをするのでなく、耐震補強工事をしていない部分もきちんと舗装し直すことが本来必要なのだろうと思う。(県道だから県にお願いm(_ _)m)

 午後からは、大村ひであき事務所でうち合わせ。いやぁ~ いよいよ選挙モードかなぁ・・・

 夕方からは、グリーンモールさくらのイベント。その中で盆踊りに参加。今年もいよいよ盆踊りのシーズンが来たぞ♪o(^0^o)♪


2005年8月5日(金)

 

 午後から行われた、参議院郵政民営化特別委員会のテレビ中継を見ていた。

 法案の可決後、世耕議員が提案し与党の賛成多数で可決した『付帯決議』のもつ意味はどういった点にあるのだろう?

 延々と述べられた『付帯決議』。民間企業に対してあれだけの縛りをしてしまうと、国営とほとんど変わらないように思うのだが・・・。

 中間派と見られていた中曽根氏が「反対」を表明したことで、が然否決の可能性が高まったようだ。個人的には、「衆議院解散→総選挙」により、暫く忙しくなることを既に覚悟している。うん!


2005年8月4日(木)

 

 午前10時より、刈谷市議会の8月臨時議会が開かれた。

 代表者会議での決定の通り、議長・副議長までは選挙により順調に決まった。ここで一旦本会議を休憩。その間に再び代表者会議を開いて、残っている委員長以降のポストについて調整をして行くのだ。

 5つの委員長ポストに6人の候補。それぞれの会派が自信を持って推薦しているだけに、どこも「よし! わかった。じゃあ、うちが辞退するよ」ってなことにはならない。こんな場面では決まって最後は、人生経験豊富で人望の厚い方の出番となる。今回も、つい数分前に議長を辞職され、我が自民クラブの会長として戻ってきてくださった(私にとっては親父のような存在の)O議員が、他会派と我が会派内の意見調整に奔走してくださり、結局自民クラブが一歩引き下がるという形で決着した。

 「本来その役割は、代表者会議の会長である自分がしなければならない仕事なんだろうなぁ~」・・・自分の力不足を感じながら、O議員には心からの感謝の言葉を申し上げた。やはり、人生経験不足、器の違いは歴然としている。「あいつに頼まれれば、聞かない訳にはいかない」そんな人格者にならねば。

 この委員長ポストが決まれば後はスムーズに話がまとまり、結局本会議が終了したのは夕方6時頃であった。深夜にまで及ぶことも覚悟していただけに少しヤレヤレである。

 6月27日から始まった代表者会議会長の仕事。最後は結局、長老議員の力を借りることとなってしまった。「息子が若気の至りで失敗した事業の後始末を、父親が尻ぬぐいした」みたいで、自分としては決して満足の行く結果ではないが、とても勉強になった40日間であった。

 そして、本日の議会において向こう1年間、議会運営委員長を務めることが決定した。見方によっては今回の代表者会議会長と似たような仕事である。「事業に失敗した息子に対して、親父が再び与えてくれたチャンス」と捉え、自分磨きに精進して行こうと思う。\(*^▽^*)/


2005年8月3日(水)

 

 今日も午前10時から議会の役職を決めるための代表者会議を開催した。

 委員長ポストの調整が難航している。会議を開会しては直ぐに休憩に入り、その間に代表者会議の会長である私と副会長の安部議員とで、各会派の代表に直接折衝して廻るのだ。

 委員長ポストが決まれば、次に副委員長→それぞれの委員会への配属→付属機関の委員など、次のステップに行くときに再度各会派の中での調整が必要となってくる。したがって、今日は終日、全ての議員に待機してもらっているのだ。(皆さん忙しいのに申し訳ない)

 結局、今日中には委員長ポストが決まらず、明日の本会議当日に行う代表者会議において、委員長ポストを決める所から始めることとなった。ふぅ~。調整能力不足。指導力不足だな。だめだ!だめだ!(´・ω・`)
だがそんなに落ち込んでばかりいられない、とにかく明日中には全てのポストを決めなければならない。毎年、先輩方が苦労しながらもまとめて来たのだ。気持ちを切り替えて明日もガンバって行こう!(`・ω・´)



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