(社)刈谷青年会議所も創立以来早くも37年目を迎えました。先輩諸兄の情熱と多くの苦しみと歓喜の中で築かれた36年の歴史の重みを思う時、我々現役メンバーに課せられた責任の重さに身の引き締まる思いです。この間、社会情勢の変化やJCメンバーの価値観の多様化などにより、ある時期は対外事業に力を注ぎ、またある時期はJC内部の充実にと試行錯誤をしながらも、着実にこの地域に(社)刈谷青年会議所の名を刻み成長してまいりました。今後さらに地域社会から信頼され期待される団体になるためには、会員ひとりひとりの資質を高め、コミュニティーリーダーとして地域に根ざした運動を展開する必要があると思います。
「青年と呼ばれたいならば、安易な妥協はせず、信ずる事を力一杯やることである。」1978年度(社)日本青年会議所会頭麻生太郎氏の言葉です。第37代理事長として、この言葉の通り安易な妥協をせずに、若者らしく力一杯運営してまいりたいと思います。
<人づくり>
「まちづくりは人づくりから」「企業は人なり」と言われます。まず我々自身が率先して勉強し、委員会活動やさまざまな事業を通して人間性を高めることが必要だと思います。そしてその際大切なことは、机上で単なる手法や知識の習得にとどまるのではなく、まず体を使って実践することなのだと思います。たとえば水泳の名人に懇切丁寧に講義を受け、優秀な生徒と証されても、講義を聞くだけでは泳ぐことはできません。やはり実際に体を水につけなければなりません。そして涙の溢れるような不覚の水を飲んだ時に初めて、水に浮くことができるし泳ぐこともできるのです。体験することの尊さはここにあるのだと思います。
また私ども青年会議所メンバーは、ひとりひとりが素晴らしい能力と魅力、そしてリーダーシップを備えています。外部から講師を招くという発想ではなく、『あんな人になりたい人づくり』をキーワードに、JCメンバーがライバルとして互いに切磋琢磨したり、得意な分野を生かして教えあったり、あるいは人生の師として互いに目標にするような関係の中から自己の成長につなげてゆきたいと思います。
さらに、地域社会や企業の中における若きリーダーの育成を目的とした『JCスクール』を開校いたします。活力あるまちづくりのため、次代の担い手としての責任と自覚を持つ若者を育てるとともに、スクールの企画・設営を通してJCメンバー自らも学ぶ場となれば幸いに思います。
<まちづくり>
『地域改善型の社会奉仕活動集団』から『まちづくり型の行動的政策集団』への脱皮を目指します。
これまで(社)刈谷青年会議所は「明るい豊かな社会」の実現を目指して社会開発運動を行なってきましたが、それはあくまで地域の改善運動という『部分的なまちづくり』への参画であったり、行政の隙間をうめていくような社会奉仕型の社会開発運動が中心であったような気がします。
もちろんそれらの事業は、その時々には意味のあった素晴らしい事業であったと思いますが、今日のような厳しい社会環境・経済環境の下では『まちづくり・地域活性化』という地域政策上の課題に対して、具体的な政策提案、それにもとづいた市民運動の推進といったような政策形成・政策参加型の社会開発運動を創造して行かなければならないと思っています。そしてそのためにJC内部に、まちづくりの[プランナーとしての機能]・[プロデューサーとしての機能]・[プレイヤーとしての機能]を持つ事が必要であると私は思います。
「まちづくり」のための3つの機能
①まちづくりのプランナーとしての機能 (政策活動)
「まちづくり思想」の具体化、「総合的なまちづくり政策・政策ビジョンづくり」の企画・立案・提示。
②まちづくりのプロデューサーとしての機能 (ネットワーク活動)
「まちづくり思想」・「まちづくり政策」の具体的計画を推進していくための、地域全体の理解・コンセンサスづくりのための政策イベント(市民会議・市民シンポジウム等)の企画・立案・実施。
③まちづくりのプレイヤーとしての機能 (社会開発活動)
「まちづくり」の「思想」・「政策」・「計画」を地域全体で具体化して行くために行政と協力しながら、市民サイドからの事業の企画・立案・実施。
JCの考える青年らしい『総合的なまちづくり政策やそのビジョン』を行政の場にもちこんでビジョン達成のための働き掛けをする。そしてさらに、JCが地域全体の意見を集約したり、コンセンサスを計るためのシンポジウム等を行なう。そういったJCと行政が互いに「まちづくり」のための3つの機能を補い合いながら進んで行くことが「明るい豊かなまちづくり集団」としてのJCが政策・運動の両側面で果たすべき役割であると思います。
<友人づくり>
JC運動は本業ではなくアマチュアの運動であり、本業を全うして残った余力(エネルギー)で純粋に英知と勇気と情熱を持って参加してこそ真の価値があります。そういった意味で例えて言うならば、我々は高校野球であって、プロ野球ではありません。対価を求めた個人プレーによるまとまりではなく、未完成ながら欠けた所をお互いにカバーし合うチームワークと団結力、そして自己啓発による成長の可能性を秘めた団体であります。
そこでは、メンバーひとりひとりが真に裸の自分をさらけ出し、共に苦悩し、共に汗をし共に涙し、ひたむきに一生懸命練習(事業)に取り組んでいる姿があります。そして、その瞬間にこそ本物の友情が生まれてくるのだと思っています。そして、この友情は決して遊びのみによって得られるものではありません。真剣なJC活動の積み重ねによって初めて得られるものであると確信しています。たとえばひとつの事業をするに当たっても、どれだけの思い入れとこだわりをもって設営しているか、そして設営される側は、設営している人達の思いをどれだけの思いで返すことができたかを試される場だと思います。
「ひたむきな努力と頭を下げてお願いすること、そして最後に許す勇気を持つこと。」そういった人間の感性と情緒の機微に触れ合うことが、JCを通じての友人づくりにとって大切なことであると思います。
<随処に主となる>
私は青年会議所とは『頭を下げて人のお世話をさせていただくところ』だと思っています。私達は貴重な時間とお金を使って、会社や家庭に理解を求めながらJC活動をしているのです。すべての事を「やらされている」と感じたらJCから得られるものは何もなくなってしまいます。仏教に『随処に主となる』という言葉がありますが、何ごとにおいてもやらされる自分ではなく、進んで学ばせていただくという謙虚で前向きな姿勢と、ひとりひとりのメンバーが刈谷JCの主人公なのだという気持ちを持ち続ける事が大切なのだと思います。 人のため世のための働きが自分自身の喜びになるという逆説的心理。これが人間の魂の喜びであり、人間らしさ、あるいは生きがいの構造であり、JCの3信条の一つである「奉仕」の思想の根幹にある考え方だと思います。JCが単なるサロンクラブにとどまるのではなく、私たちが住む地域・日本・地球のために、共に学び・語り・楽しみ・苦しみながら明日に想いを馳せ、全力で一年間ぶつかろうではありませんか。