1999.6
Vol.02


今までのレポートはここです
市民主導のまちづくりについて
 
 コロンブスレポートVol.2では、私の後援会パンフレットのキーワードにもなっている『市民主導のまちづくり』という点について、過日の新聞記事を参考にしながら考えてみたと思います。
 
 これまでの行政が呼びかけるまちづくり事業に、「市民」はプロセスの段階から参画することができませんでした。 また、参画できたとしても最終の決定権を持っていいないため、自己責任に基づく発言でなく、一方的な要望のみを言い放つ場となっています。 このような形態で行われるまちづくりでは、主導する側と市民との間に「みえない壁」ができてしまいます。

 本来まちづくりとはみんなで行うものであり、その事業を通していろいろな違いを超越してまち全体が強い絆で結ばれるものだと思います。 そういった形態こそ『市民主導のまちづくり』であり、そのためには私たち市民ひとりひとりが「積極的にまちづくりに参画していく」という意識を高めることが大切であります。 一方、いくら意識が高まってきても、その意識の高まりを受け止めるためのしくみがなければ、その意識も衰退していってしまいます。つまりまちづくりへの積極的な参画という意識のたかまりと、そのための行政側のしくみを変革することは、どちらか一方だけではうまくゆかなくて、車の車輪のようにお互いがバランスよく前進してはじめてよい結果が得られるのだと思います。 そこで私は、そのしくみ・システム作りに努力したいと考えています。

具体的には……

  1. 決定したことの情報公開ではなく、決定するまでのプロセスを情報公開していく。
  2. ワーキンググループ(裏面新聞参照)のような、まちづくりのプロセスの議論に参加する人を一般から公募する。
  3. 議会を多くの方が傍聴しやすいように、日曜日や平日の夕方からも開催する。

 などが考えられます。 

戦後の復興や高度経済成長を支えてきた、中央集権による画一的なまちづくりは、財政の破綻・少子化高齢化社会の到来・市民ニーズの多様化などが原因で、これまでのようにうまく機能しなくなってきています。 これからのまちづくりは、お役所まかせではなく、市民ひとりひとりが自らのまちの主人公として、積極的に発言し参加して行くことが大切であると思います。 そしてそのような市民の意識改革と、行政のシステムの変革を推進して行くことこそが『市民主道のまちづくり』への第一歩だと思っています。

 

あふれる民力  7
住民参加、役所も変わる

自分たちの発想だけでは、「民」の要望にこたえきれない。
そこに気づいた「官」が、刷新に踏み出した。

 
 「スキーウェアの人は着膨れする。トイレは大きめにしたほうがよい」 「年間を通じ使えるよう考えたら。夏はハンググライダーで遊ぶ人も来る」
 昨年11月18日夜、秋田県鷹栖町今泉地区の集会場。 岩川徹町長(50)を中心に、車座になった約四十人の話が熱を帯びた。 町営スキー場にヒュッテ(山小屋)を新設する。 「どう作るのか、みなさんで考えて下さい。いいアイデアは、当事者じゃない役場職員からはなかなか出ませんから」と岩川町長。
 約一年かけて住民がスキー場の運営全般を考える「ワーキンググループ」の発足が、この日決まった。

 ワーキンググループは、これで七つ目。 約700人の町民が参加するまちづくりの原動力だ。 福祉の分野では、町民自身が在宅介護の老人の家庭を訪ね、何が必要かを聞くことから始めた。 そこから「ホームヘルパーの24時間派遣」などが生まれた。 この春にオープンする在宅福祉支援施設「ケアタウンたかのす」。 建設前には施設のモデルルームを、町民らの「探検隊」がチェックして、89もの注文をつけた。
 町の1998年度の予算約94億1500万円のうち、32%を民生費が占める。 土木費は9%。 「土木から福祉へ」とかじを切り替えてきた。だが『初めに福祉ありき』ではない。 住民参加が町の姿を変えてきた」と、岩川町長は話す。 「町民が議論して必要だと言うことになったら、お金はかかっても価値はある。 逆に何の意見もでてこないようならゼロ査定でいい」  畠山進さん(69)は福祉のワーキンググループで、公共施設の点検に加わったことがある。 役場の窓口が、車椅子の人だと首しか出せない高さなのに気づき、改良を提案。 カウンターは低く改められた。 前は「町のことは役場が考えるもの」と思いこんでいた。 でも今は、窓口を見るたびに「自分たちが行政を動かしたんだ」と、誇りに思う。

 JR川崎駅前のビルの一室で昨年12月19日、市民による条例づくりをめざす「市民立法ゼミナール」が行われていた。
 「川崎地方分権推進条例試案」。 A3判の三枚の資料には、地方分権が実施された際に、市と住民がどのように取り組むを示した条例の総則、各章、付則が記されていた。
 「市民が行政の意志決定に参加できることを、条文ではっきり書いたほうがいい」 「区役所に、もっと権限を移すべきだ」。 ゼミに参加する自治体職員や大学生ら24人が、試案をたたき台に議論を続けた。

 ゼミを企画したのは、川崎市職員で地方分権担当の高橋慶子さん(39)だ。
 地方分権推進計画が昨年5月に閣議決定され、関係法が改正されれば、自治体独自の仕事が増える。 条例作りの作業で忙しくなるはずだ、と思いながら「いままでのように、市の職員がやるだけでいいのだろうか」と考えた。 それまで14年間、公民館で働いた。 地域の人と病院や公園、託児所などの情報をまとめた「子育て便利マップ」を作ったり、川の浄化運動に取り組んだりしたことが原点になった。
 「住民が条例案を作り、市議を通じて議会に提案する。そんなやり方だってできるはずだ」  上司の太田直さん(48)も高橋さんの考えに賛成だった。 市議会への配慮から、「そこまでやらなくても」という声も聞こえてくる。 だが、「役所と学識経験者だけで条例をつくっても、住民になじみのないもので終わってしまう」
 ゼミで配った条例試案は、法律やほかの条例との整合性や文言も条例案として堪えるものにした。 ゼミがただの勉強会ではないことを示したかったからだ。
 この「実験」がうまくいけば、条例づくりという、市民参加の新しい形が描けるかもしれない、と考えている。                     (澤田 歩、国分 高史) =第一部おわり

 


神谷まさひろのプロフィール
1960年 刈谷市桜町に生まれる
1972年 小高原小学校卒業
1975年 刈谷東中学校卒業
1978年 県立刈谷北高等学校卒業
立命館大学経営学部入学
在学中に父親が交通事故に遭い家業を継ぐ為に中途で退学
勤務先 (株)魚勉  
活動 (社)刈谷青年会議所37代理事長
刈谷駅前商店街前副理事長
刈谷北高等学校同窓会副会長
松下政経塾「地域から日本を変える運動」元会員
住所     刈谷市青山町4-49-1
勤務先住所 刈谷市桜町3-45
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