コロンブスが偉大なのは、アメリカ大陸を発見したから偉大なのではありません。
アメリカ大陸があるのかないのかわからないのに大西洋に船出したから偉大なのだと思います。
答えのあることが判っている問題を一生懸命することは勤勉であります。
チャレンジとは答えがあるのかないのかわからない問題に向かって挑戦することだと思います。
この言葉を強くかみしめながら、「明るい豊かなまち刈谷」をめざして若者らしく・一生懸命頑張りますので、ご支援とご鞭撻賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
今年の夏は記録的な猛暑でしたが、やっとホッとできるような涼しさを感じる季節になってきましたね。秋と言えば食欲の秋。カツオには1年間に2度の[旬]があるそうです。まさひろさんのHP内の「今が旬!」コーナーでは今が食べ頃の『戻りカツオ』についての記事が書かれています。何も知らずに食べる味覚もおいしいけれど、おいしい理由を知って食べる味覚はもっとおいしい!同じように、まさひろさんのことを知ることは、刈谷市のことをもっと知って、より好きになるきっかけになるような気がします。
編集長 榊原直木
9月1日(水)~22日(水)まで、刈谷市議会9月議会が開催され、神谷まさひろは本会議や委員会などにおいて様々な発言をしました。
発言した内容のポイントを紹介します。
長引く景気の低迷と一段の円高により、市内の中小零細企業は大変厳しい経営環境にある。
各種の支援策をぜひお願いしたい。そして、不景気で民間での需要が期待出来ない中、一番の支援策は刈谷市が仕事を発注することであり、[単価]以外の様々な要素で業者の決まる業務委託や指定管理者の選定には、ぜひ市内業者へのアドバンテージを与えて欲しい。地元を大切に!!
「学級規模の縮小を求めること」そのものには賛成であるが、教室や先生の確保などで多額の予算が必要なこともあり、直ちに「全ての学年を30人以下とする」ことには反対。従って趣旨採択が適当である。
平成23年4月以降、サンモリーユ下條の指定管理者を現在と同じ西洋フード・コンパスグループ(株)にすることについては賛成であるが、選定基準だけでなくその配点についても公募時に公表すべきであり、それにより、この施設について市が何に重きを置いているか、市としてのメッセージを発信出来るのではないかと思う。
(答弁)外壁塗装については、現在実施しているエレベーターの設置が完了した平成25年以降に、建築年次及び外壁の劣化状況を考慮して順次実施予定。
空調機については設置からの経年劣化を考慮して、計画的に順次取替修繕を実施。また、故障の場合は随時修理または取替えを実施する。
(答弁)現在は、総合文化センター利用者には4時間分の減免、それ以外の場合(パークアンドライドなどで、鉄道利用者等が駐車場を利用した場合)は1時間分の料金を減免している。
総合文化センターの利用時間に合わせた減免をすると、運用面において複雑になり、対応が難しい。
今回可決した9月議会の議案・補正予算の中から、
いくつかの事業について紹介します。
刈谷市内には現在22地区全てに地域防犯パトロール隊が結成され、「自分たちのまちは自分たちで守る」の意気込みで、地域ボランティアの皆さんが献身的に活動してくださっています。
しかし、深夜・早朝まで、そうした皆さんに負担を求める訳には参りません。そこで、午後10時から翌朝4時まで、警備員2名が乗車した警備会社の車3台が、防犯とごみの不法投棄監視などの目的で市内全域を巡回することになりました。年内にはスタート出来る予定です。
1Fは[保健センター]として、現在ハローワークの前にあるものを移転し、2Fは[中央子育て支援センター]として、現在青葉福祉センターにあるものを移転、そして3Fは[げんきプラザ]ということで、市民の健康度をチェックして運動を実践する場所として、トレーニングルームなどが設けられます。以前、刈谷青果市場があった場所に建設中なのですが、駅・市役所・保健所に近く、敷地規模も丁度良く最高の立地だと思います。移転に応じてくださった市場関係者には改めて感謝です!!
この2ヶ所の交差点改良事業の用地取得費として約9618万円が計上されています。
[下重原交差点]というのは、以前より渋滞解消が切望されていた竹内胃腸科医院さんの所です。今回の用地取得が実現すると、平成23年度からはいよいよ交差点改良が行なわれ、[北→南向き]車線については現状の2車線から3車線に拡幅されますので、流れがかなりスムーズになるのではないかと期待しています。また、現在建設中の刈谷駅南北連絡道路(産業振興センター前→名鉄・JRの地下→交通児童遊園→ひまわり横)も年内には完成の見通しですから、下重原交差点拡幅と相まって刈谷駅南北間のアクセスが一段と向上すると思います。
[神明町交差点]というのは、二村医院さんの所のことで、スクランブル交差点にするために用地取得の必要があるのです。先の6月議会一般質問で私は「地主さんとの交渉で、以前ガソリンスタンドのあった土地の一部だけを購入することが難しければ、全部購入して歩道以外の部分はポケットパークとして整備してはどうか」と提案していました。今回の予算金額は土地全体の購入金額のようです。果たして、私の提案の通りになるのかどうか・・・?楽しみです。
2004年4月発行のコロンブスレポートVol.23において、全く同じタイトルでこの事業を紹介していました。当時は、「亀城公園と野田公園に設置して、平成17年以降も順次他の公園に設置する意向です・・・」と書いたのですが、結局その後、他の公園で設置されることはなく、今回5年ぶりに狩野公園において設置することになりました。
駅の南、踏み切りの西側に90台駐輪可能な駐輪場を整備します。年内には完成の予定で、補正予算で約2500万円が計上されています。 以前から蜂須賀議員が一生懸命取り組んでいた事業です。
現在2Fにある児童クラブが、本年度日高小学校に移転をし、青葉福祉センターが廃館となるため、その中にある児童館を来年度から[なのはな]に移すのです。
昨年の7月1日から道交法が改正され幼児2人同乗用自転車の利用が認められました。が、大変高価であるため昨年の9月議会において購入する際の補助金制度を創設しました。 補助率は購入価格の2分の1、補助上限額4万円として、そのための予算として200万円計上してありました。ところが希望者が大変多く、昨年12月議会で200万円の追加補正、そして本年度当初予算でも576万円を計上していたのですが、8月末で既に執行率が90%を超えている状況です。そこで9月議会においても360万円の補正予算が計上されたのです。
市内の事業者が製品開発のため、県産業技術研究所(一ツ木町)などに耐熱性や磨耗性などの試験を依頼した際、必要となる手数料の一部を補助します。補助金額は手数料の3分の2で、1事業者50万円が限度です。この制度は、竹中市長が市内中小企業者との会議において、経営者の声を聞く中で必要性を感じ新たに創設された制度です。私も一般質問において「市民の声を聞き、必要性を感じた施策を直ぐに実施する姿勢は素晴らしい」と述べ、この事業創設までのプロセスを高く評価しました。
本会議開催の1週間ほど前、一般質問の通告が締め切られると、質問順を決める抽選が行なわれます。いつも「他の議員と質問内容が重複すると嫌だから、出来る限り早めの出番がありがたいなぁー」と思っているのですが、今回は密かに「ラストバッターになりたい」と願っていました。
10月に新庁舎が完成すると、議場も新しい建物に移ります。つまり今の議場で行なう本会議はこの9月議会が最後ということになるのです。昭和56年に完成した今の本会議場。この議場での最後の一般質問登壇者として「歴史の1ページにささやかな足跡を残してみたかった」というのが本音です。
今回幸運にもその座を射止めたのは市民クラブの安部議員でした。全国あちらこちらの自治体でも行なわれるようになった[事業仕分け]をテーマに最後の質問をした安部議員、質問の中でいくつか「ためになるぞ!メモしておこう!」と思える言葉を残していました。
そして、事業仕分けというイベントについて・・・、事業仕分けということをわざわざ行なわなくても、外部の視点と市民の目線による仕分けと言う点では、本来は我々議員が(予算や決算の審議の中で)行なわねばならない仕事だ
南庁舎の議場30年に亘る歴史の最終ページを飾るに相応しい記憶に残る一般質問だったと私は思います。
議員として活動や市政情報を皆様にお伝えする手段として、私はこのコロンブスレポートや街頭演説、そしてインターネットホームページを活用しています。そしてホームページの中では、ほぼ毎日『東陽町ホンネの日記』を更新しています。「なぜ東陽町なのですか?」と聞かれますが、市役所が建っているのが東陽町というそれだけの理由です(笑)。機会があればぜひ一度覗いてみてください。このレポートでも9月議会開催中の日記を一部掲載しておきます。
9月議会本会議2日目。今日も5名の議員が一般質問で登壇しました。
昨日と今日、他の議員の一般質問の中で、私がこれまでの一般質問で取り上げたことに触れてくれる場面が4回ありました。「以前、神谷議員も質問していましたが・・・」といった調子です。私の発言が何らかの話題になるのは嬉しいものです。何らかのインパクトがあったということですからね。自画自賛ですが・・・
その中の1つに『刈谷市内への養護学校建設』という内容がありました。白土議員の質問です。「刈谷市内への養護学校建設は、神谷議員が平成12年12月議会で初めて要望しましたが・・・」白土議員の質問を聞きながら、当時安城養護学校の校長先生が言われた一言を思い出していました。「神谷議員がこうして熱心に取り組んでいただいたことが、10年後位に実現すれば嬉しいと私達は思っています」 当時「10年後だなんて、校長先生は悠長なことを言っているなぁー」と感じたのですが、あれから既に10年。力不足を痛感しています。申し訳ない・・・。
「お婆ちゃんの件、今日希望が叶いました。神谷さん本当にお世話になりました。ありがとうございます。」以前から相談を受けていた方より、お礼の電話をいただきました。お婆さん本人を始め、ご家族が本当に喜んでいる姿が目に浮かびました。「人の喜ぶ姿を我喜びとする」・・・市会議員をやらせてもらっていて最も遣り甲斐を感じ、一番嬉しい瞬間です \(^o^)/
原崎町県営住宅の隣に建設中の『お年寄りのショートステイ施設』の足場が外され、全容が見られるようになってきました。ここ数年、デイサービスやショートステイといった在宅型の施設は急速に増えてきたなぁーと感じます。これらは、認可さえ受ければ自由に建設できますが、問題は特別養護老人ホームや老人保健施設、グループホームといった入所系のサービスです。
こちらは3年に1度作られる[介護保険事業計画][老人福祉計画]の中で、需要予測に基づいて設置が計画され、県の認可がないと作ることが出来ないのです。現在刈谷市内における特別養護老人ホームの待機者(家族の状況などで、1年以内に入所を必要としている人)は42名、平成24年度から始まる次の計画の中では、特養の新設をきっちり盛り込んでいかなければならないと思っています。
午前10時から福祉経済委員会・決算審査分科会・予算審査分科会が開かれました。委員長は、今年初めて委員長に就任した1期生の壁谷議員、実質的な委員長デビューの場ですが、堂々としていてテキパキとスムーズな進行ぶりでした。
委員会中、野村議員の発言の中で私の名前が出てきました。『先日ある会合で、ある地区長さんから「逢妻駅にエレベーターを設置して欲しい」と依頼されました。偶然その場所に神谷議員もいましたので「一緒に協力して市にお願いして行こう」ということになりましたのでよろしくお願いします。」とのことです。傍聴していた私としては、突然名前が出てビックリなのですが、[逢妻駅にエレベーターを設置]の必要性は感じていますので、野村議員だけでなく多くの議員の賛同を得て、なんとか実現したいと思っています。
尚、実現の可能性ですが・・・1日の乗降客が5000人以上であれば「設置費用を国・刈谷市・JRで負担」というルールがあるのですが、今のところ乗降客が3972人/日しかないため、現在のルールでは設置費用は全額刈谷市が負担しなければなりません。しかし今後ルール改正の可能性もあり、JRとも数度にわたり交渉中とのことですから期待したいと思います。
午前10時より、建設水道委員会・決算審査分科会・予算審査分科会が開かれ、今日は最後まで傍聴していました。私は単純に[自分自身の勉強のために]傍聴しているのですが、他の議員の中には、それぞれに深い思いを持って傍聴されている方もみえます。
「昨年、監査委員をやっていたので、その責任上、決算審査はきちんと見ておきたいんだ。それに、今年は議運委員長の立場もあるでね」と言われた加藤議員。「自分が要望してきたことが今回補正予算に付いていたから、それが可決されるかどうかを見届けたいんだわ」と前田議員。「皆さん立派だなぁー」と頭が下がります。
「立派」と言えば、議会事務局長と課長は[クールビスOK]の委員会であっても、必ずネクタイとスーツを着用しています。たぶん、議会運営を支える事務局トップとしての、責任感やこだわりといった深い思いがあってのことと思います。「身なりや形を整えれば心は自然と美しくなり、逆に、心を整えれば身なりや形が美しくなる」・・・以前、このような言葉を聞いたことがありますが、二人の姿を見てこの言葉を思い出しました。
刈谷市内に住民票のある100歳以上(明治44年12月31日以前に生まれた、数え年)の高齢者は51名(8月20日現在)。その全ての所在が確認できています。確認方法としては介護保険による方が48名、医療保険による方が3名ということで、実際に介護認定を受けられたり、病院に受診したりということだそうです。
一方、[住民票はないけれど、戸籍に残ったままになっている高齢者]。刈谷市において戸籍に残っている120歳以上の方は16名、その内最高齢者は明治10年4月17日生まれの133歳、男性とのことです。
明治10年というと西暦1877年・・・おっ、日本史で習った年号です。確か、年代語呂合わせによると「火花な(1877)がめる西南戦争」と覚えたはずですから、あの西郷隆盛が活躍した西南戦争の年に生まれたことになります(@_@)
なぜこのようなことが起きてしまうのかと言うと・・・戸籍の削除は、親族などによって提出された死亡届や失踪届けに基づいて行なうのが原則ですが、戦中戦後の混乱期に死亡した場合や、戦前に海外に移住した場合などは正規の届出がされていない場合があるからです。