東陽町ホンネの日記    

今までの日記はこちらです。

 

■□■ 2005年1月 ■□■

2005年1月29日(土)

 

南こうせつコンサート パンフレット

 今日は、刈谷市の市民会館自主事業である『南こうせつ コンサート』が行われ、妻と2人久しぶりの恋人気分(?)で聴きに行きました。

 アイリスホールは、ちょうど我々と同じ世代以上の年輩者を中心に満席で、こうせつの美しい歌声に観客全てが酔いしれているといった感じでした。私自身、気分はすっかり高校時代に戻っており、2時間半の時があっという間に過ぎました。

 「刈谷市へは初めて来ました。ぜひまた呼んで下さい」と、こうせつ。

 来年度の自主事業でもぜひ再び呼んでもらいたいと思いますが、色々なジャンルの自主事業を行わねばならないので、たぶん連続は無理なんだろうなぁ~
残念!(;>ω<)/


2005年1月27日(木)

 

 テレビを見たら、衆議院予算委員会で地元愛知13区の代議士が質問をしていた。

 質問内容は必ずしも賛成できない(むしろ首を傾げることが多い)が、堂々とした質問態度は立派だと思う。

 特に、質問に対するかなりのヤジが聞こえてきたが、ヤジにひるむことなく質問を続けていた。あれでなければ、百戦錬磨の強者が揃う国会の中ではやっていけないな! 納得!!


2005年1月26日(水)

 

 子どもの就学のことで色々と相談を受けている方より、「ぜひ会いたい」とのことで、お会いして約1時間位情報交換をしました。

 前回の一般質問で取り上げた『小・中学校におけるスクールアシスタント制度』が実現すれば、この方の悩みはかなりの部分改善されるのだが、そうでない以上、既存のしくみの中で教育委員会・学校側には最大限の努力をしてもらいたい。

 同時に、ご家族としてもできることはぜひ協力してもらって、就学する子どもにとってより良い方向に行って欲しいと思う。

 保護者との面談の後、教育委員会に行ってその主旨を話すと、「親と学校が協力してより良い方向に持ってゆくことに大賛成で、学校側にもそのことを伝えておきます。ありがとうございます。」と感謝された。

 要望している政策の実現は叶わないが、議員として非常に嬉しい出来事です (*^_^*)


2005年1月24日(月)

 

 先日の視察所感を書き上げました。視察に行ったらできるだけ早く所感を書くことにしています。提出も自民クラブの中ではたぶん一番でしょう。

 但し、委員会で視察に行く場合は他の会派議員も一緒になりますので、市民クラブのM議員にはなかなか勝つことができませんが・・・Ψ(・O・)Ψ

 昼からは(社)刈谷青年会議所(JC)の歴代理事長会議に出席しました。

 今年JCが創立45周年を迎えるため、事業費として基金を取り崩すことへの承認をOBに求めたり、事業のPRを行う。そのような目的で行われたものです。

 折角ですから、このHPでも今年の記念事業のPRをしておきます。

  1. 米村でんじろう サイエンスショー
    5月14日(土) 13:00~15:00 アイリスホール
  2. 30人31脚大会
    7月2日(土) 8:30~16:00 総合運動公園

2005年1月23日(日)

 

 久しぶりに『桜区ウォーキング同好会』のウォーキングに参加しました。皆さんは毎週やっているのですが、私は予定が入っていたり、意志が弱かったりして(この理由の方が多いかな?)なかなか参加できません。

 昼からはアイリスホールで行われた『刈谷市子ども会大会』に出席。この会はいつもオープニングとして、各子ども会の会旗入場というものがあるのですが、その光景を眺めていたら、ついこの間同じ光景を見たような気がして、「一年の経つのは本当に早いなぁ!」とつくづく感じました。

 一部が終了と同時に退席して、次の予定の入っている小山市民館に向かいました。

 こちらでは、『第7回小山公民館 クラブ発表会』が行われており、議員も一曲ずつカラオケを歌う約束になっているのです。「エルシティやアピタ前では緊張せずに街頭演説をしていますが、こうしてカラオケを歌うマイクを握ると、手足は緊張の余りガタガタ震えています」と一言ことわりを入れて、吉幾三の雪国を歌いました。終わった後、歌はもちろんあまり褒められませんが、「舞台上での笑顔が良かった!」と言ってくださる方がいて、「このほめ方も嬉しいものだ」と感じました。

 途中で退席して、エルシティとアピタ前で街頭演説。こちらは緊張で震えることはありませんが、今日は寒さで震えました。


2005年1月19日(水)

 

 今日から21日(金)まで、自民クラブで行政視察に行きます。

 昨年は私が班長だったのですが、雪で鉄道のダイヤが乱れて大変でした。今年は天気予報を見る限り今のところ大丈夫のようです。

 視察項目は

  1. 総合型地域スポーツクラブ事業について
  2. 久万農業公園アグリピアについて
  3. 安全で安心なまちづくりについて

 いづれの項目も会派の議員が一般質問で取り上げた内容です。昨年の場合は東へ西へと大移動でしたが、今年は班長さんが視察項目と視察地を上手に組んでくれました。

 視察した内容については、いつものようにこのHPにて公開します。


2005年1月17日(月)

 

 PM6:00から、碧海5市の県議・市議交えての「衆議院議員大村秀章新春懇話会」に出席しました。

 大村代議士の挨拶は国政報告を兼ねて少し長めにされました。

 介護保険は、2000年の制度スタート時では3.6兆円であった事業費が、現在6兆円にもなっていることから、介護予防に真剣に取り組まなくてはいけないこと、また、身体障害、知的障害、精神障害がこれまで縦割り制度の中で運営され弊害も出ていたことから、障害者制度として一本化することなど、現在大村代議士が厚生労働委員会理事をされていることから、福祉関係の話をいくつか聞くことができ、大変ためになりました。

 碧海5市の県議も出席されていましたので、「安城養護学校マンモス化対策」の話を聞いたところ、やはり「岡崎に知的障害児のための養護学校を建設する計画」とのことでした。

 「ぜひ刈谷市に・・・」と、刈谷市議会ほとんどの会派で要望していただけに非常に残念です。

 そのことを大村代議士に話したところ、「岡崎・西尾・幡豆地域(選挙区でいうと愛知12区)には知的障害児の養護学校は今までなかったからしかたがないよ。安城にあってまた刈谷にもと、碧海地域(愛知13区)に2つというわけにはいかない。
逆に肢体不自由児の養護学校は岡崎にあるけれど、碧海地域にはないのだから、肢体不自由児の養護学校を刈谷市に建設してくれと要望したらどう。但し、将来はその垣根は無くなるけれどね・・・」と言われました。今後の参考にしたいと思います。


2005年1月15日(土)

 

 刈谷市環境課主催による、『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』の上映会に出席しました。

 コロンブスレポートの配布など、常日頃から私の活動を応援してくださっているKさんから紹介を頂いて出席したものです。

 刈谷市産業振興センター小ホールに100人ぐらいの観客でした。300名定員のホールですから、入場者数に関しては少し寂しい感じです。私自身もKさんから紹介されなければ、こういった企画があることを知らなかったわけですから、事前のPRという点では改善の余地あり・・・ということかもしれません。

 内容的には、ゴミ問題・地球温暖化問題といった具体的な環境問題を提起するといった内容ではなく、「自然や自分自身が地球の一部なのだ」といったことを意識させる内容でした。なかなか時間を作ることができませんが、この映画を観て、大自然の中でのんびりとした時間を過ごしてみたくなりました。


2005年1月14日(金)

 

 愛知県庁に、「平成16年度 神谷まさひろ後援会の収支報告書」の提出に行ってきました。

 今回は、後援会主催による「初詣」「九州旅行」「国会見学」の収支と、コロンブスレポートの発行に関する収支、事務所の維持費に関する収支が主なものです。

 旅行に関する収入は参加者からの会費で、コロンブスの発行と事務所経費は、私と妻からの寄付金で賄っているという状況です。

 毎年一回、このためにしか行くことのない県庁ですが、「市役所と違って、一般の人はなかなか入りづらい建物だ!」というのが感想です。(一昨年も同じ事を日記で書いていました・・・)

 どの部署も全て重い扉の向こう側にあって、開放感がない建築になっているので、県民と行政との垣根を作っているように感じます


2005年1月13日(木)

 

 議員全員を対象とした、議員研修会が午後1時~3時まで行われました。

 毎年この時期に行う研修会は、議員としての心構えや、議員としてのあり方、地方自治法について、議会の運営の仕方などの研修しますが、今年は『地方分権と市町村合併』というテーマで行いました。

 講師の、明治大学助教授の牛山久仁彦氏は1961年生まれ、私より一歳年下の若い先生でしたが、非常に判りやすい話し方で、大変勉強になりました。

 合併の目的・タイプには

  1. 地方分権の「受け皿」と財政危機に対処するため(小さな自治体では多様化する住民ニーズに対応しきれない。自立できない)
  2. 都市間競争に勝つため

の2パターンあり、小さな町や村と隣の大きな市が編入合併するのは(1)のパターンであり、刈谷市のようにほどほどの人口規模があり、財政的にも健全な市の場合、合併する意義は(2)にあるとのことでした。

 (1)の場合には「必要性に迫られて」という意味では、住民の合併に対する意識も高まりやすいのですが、(2)の場合、差し迫った必要性を感じないので、どうしても関心が薄くなってしまうのだと思います。


2005年1月11日(火)

 

 グリンピア昼市会場としては、今年初の街頭演説を行いました。

 通常この場所では、お客様で賑わっている間中(約1時間)行っているのですが、さすがに今日は風が強く、また非常に寒かったため、40分ほどでリタイアしてしまいました。

 夕方からは、酒井県議の賀詞交歓会が産業振興センターで開かれ、私も出席しました。昨年以上の出席者があり、酒井県議が着実に支持基盤を広げていることが感じられます。

 県議の挨拶の中で、「刈谷市に養護学校を建設するように努力している」という言葉がありました。特に力を入れている事柄として、あの場でわざわざ言及してくださったことは非常に意義があると思います。


2005年1月9日(日)

 

2005かりや新成人の集い

 小山寿楽会(老人クラブ)の新年祈願祭に出席した後、『2005 かりや新成人の集い』に出席しました。

 華やかに着飾った若者を見ているとこちらまでウキウキした気分になってきます。ある呉服屋さんの社長が会場で言っていた「このイベントは、一世一代の大きな合コンみたいなものだ。綺麗になった私を、格好良くなった俺を見てくれ! と自己主張する場だ」という言葉も「その通りだな・・・」と妙に納得です。

 帰り際、『成人式駐車場』と書かれた大きな看板を片付けていた、どうみても定年過ぎのお年寄りの姿が、先ほどの若者の華やかさとの対比でとても印象的でした。

 華やかさの陰で、裏方として支えてくださっているこうした方々のことに思いを馳せることを忘れないようにしたいものです。

 終了後は、エルシティ前とアピタ前で街頭演説。

 昨日よりも一段と冷えました。話していると口がスムーズに動かなくなってきて、こんな日は一ヶ所で40分が限度です。数人の人から、「寒いので風邪を引かないようにね」と励まされましたが、むしろ自分としては、頭の血管が切れてしまわないか心配なくらい寒い中での街頭演説でした。


2005年1月8日(土)

 

 午前10時から、衣浦東部広域連合消防局の消防出初式に出席。

 午後からは、「ふーぅ 寒い!」 今年初めての街頭演説をエルシティ前とアピタ前で行いました。建物で日陰になってしまうと寒さがこたえます。

 エルシティ前では、遠くの方から手を振って下さる方が何人かみえ、新年早々とても元気づけられました。

 私の場合は年明け8日目で、新年初の街頭演説を行ったわけですが、他の議員(国会・県会・他市)のHPを覗いてみますと、お正月三が日の間に第一声をあげている方が結構いらっしゃいます。(「自分に負けている」と反省!)

 特に、感心させられたのは昨年の9月に岡崎市議会議員に初当選された大原まさゆきさんです。

 32歳の若さで、地域や団体からの推薦もなく立候補して、街頭演説を中心とした選挙戦で見事に当選されたことから、私も次のようなお祝いのメールを送らせて頂いていました。

 ご当選おめでとうございます。(中略)・・・・当選してからも、ぜひ街頭演説を続けていってください。「あの子、当選した翌日も変わらずに続けていたわ」なんて噂が広まったら素敵ですよ・・・ご活躍をお祈りしています。

 その後の彼の日記を読むと、先輩面してメールした自分が恥ずかしくなるくらい、一生懸命街頭演説を続けてみえます。「政治の原点は辻説法にあり」を改めて認識した、今年初の街頭演説でした。


2005年1月6日(木)

 

 行ってきました、ハイウェイオアシス内にある『天然温泉 かきつばた』に。

 ハイウェイオアシスそのものは、オープニングの時に行っていたのですが、温泉の方は今日初めてです。

 ナトリウム塩化物温泉ということで、少し塩辛い湯ですが、露天風呂・気泡風呂などもあり湯量も十分で、また、ガウンを着て入る低温サウナがとても気持ちがよくて、「健康・癒し・リラックス」というコンセプトにピッタリ合った施設です。

 食事のメニューも充実しており、家族連れで4~5時間は十分くつろぐことができます。

 わざわざ遠くまで行かなくても、刈谷市内で天然温泉が楽しめる・・・ぜひ多くの人に利用して頂きたいと思います。(お正月は施設の外まで長蛇の列ができていたようです。一利用者としては、余り人気が出ていつもそんな状態だとそれも困りますが・・・(*^_^*))


2005年1月5日(水)

 

 今日から家業である魚屋の仕事始め。

 名古屋市熱田区にある中央卸売市場も初市が開かれました。

 漁師がまだ本格的に漁に出ていないため、近海魚・大衆魚の入荷は少な目ですが、スマトラ沖地震で入荷が心配されたマグロ(マグロの多くは今回被災にあったインドネシア・プーケット・スリランカなどの港から空輸されています)は、普段と変わらない数の入荷がありました。

 私は毎日朝3時半に起きて、市場で買い付けをして、午前8時頃に会社に帰り、それから服を着替えて議員活動をしています。冬場はいつもこんなに着込んで仕事をしています。

 手前のマグロはタイのプーケットから、奥のはインドネシアから届けられています。


2005年1月4日(火)

 

 今日から市役所は仕事始め、私もぼちぼち始動開始です。

 朝9時からの、さくら少年野球団練習始め式で挨拶した後、小山公民館の鏡開きに出席しました。

 「野球が上手になる秘訣は感謝の心を持って練習すること。今日もこの式が始まる前に、これから一年間皆さんが練習するこのグランドを、コーチやスタッフの人が綺麗に整備してくれていました。ベンチも1つずつ雑巾をかけていました。またテントではお母さん達が、練習後に食べる豚汁を作ってくれています。こうした沢山の人のお陰で皆さんは思いっきり練習ができるのです。ぜひそういった人に対する感謝の気持ちを忘れずに今年一年練習に励んでください。そうすればきっと上手くなれますよ・・・・」
さくら少年野球団ではこういった主旨の挨拶をさせて頂きました。


2005年1月2日(日)

 

 今日は特に予定はありません。「長女が受験生のため、今年の正月はどこにも遊びに行かない!」と自分自身決めていたので、今日はテレビ漬けの1日でした。

 午前中は「サンデーモーニング・新春拡大版」、途中少しだけ「ドラマスペシャル ナニワ金融道」を観て、午後2時からは10時間連続の時代劇「国盗り物語」を観ていました。

 織田信長の時代においてどちらかというと脇役的な存在であった、斎藤道三や明智光秀の側から物語が描かれており、興味深く観ることができ、10時間があっという間に過ぎてしまいました。


2005年1月1日(土)

 

初日の出

 年が明けて直ぐ、午前0時から御霊神社での歳旦祭に出席。その後3時間ほど仮眠を取って、午前5時からの(社)実践倫理宏正会主催による元朝式に出席しました。議員になってから、元旦はいつもこのパターンでのスタートです。

 午後1時半からは天子神社での歳旦祭。こちらの方は、厄年の皆さんのご祈祷もあり、その後皆さんの前で新年のご挨拶をさせて頂きました。

 「私は現在44歳。少しだけ厄年を以前に迎えた先輩として、厄年前後の変化についてお話しします。1つは体の変化です。物覚えが悪くなったり、目が見づらくなったり、風邪をひいても治りづらくなったり、夜無理をすると翌日こたえたり、髪の毛が細くなったり・・・厄年を境に確実に体の変化があります。いつまでも若くないという警鐘だと思って十分健康管理に努めてください。もう1つの変化は、地域での責任が重くなって来るという変化です。地域での様々なお役が廻ってきます。ぜひ積極的に受けて頂き、地域社会における責任を果たしてください。そういった意味では、この後皆様にやって頂く自己紹介は、地区役員の皆様に顔と名前を覚えて頂く大切な機会です。よろしくお願いします。」・・・こんな主旨の挨拶をしました。



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